部屋の角で足の小指をぶつけた。

上司から詰められた。

友達が自分の悪口を言っていることを知った。

そんな悪いことが起きた時、ついつい他責の思考になる。なんでこんなことが起きたのか?あいつが悪い。俺は悪くない。そんなふうに。

悪口を吐き出した後はかなりスッキリとした感覚になるかもしれない。しかし、その悪口はあなたの目標達成のために本来使われるはずだったかなりのエネルギーを消費させている。その結果、あなた自身であなた自身の人生を悪い方向に向かわせている。

いやいや、溜め込む方が体に悪いでしょ。と思うかもしれない。しかし体感ベースで考えてほしいのだが、悪口を言い終わった後は、少なからず罪悪感があるのではないだろうか。あんなことを言ってしまった。と。その罪悪感がじわじわとあなたの精神を蝕む。じわじわとエネルギーを奪う。

脳は主語を判断できない。つまり、「あいつクソだよな。」と言った時、「俺はクソだよな」と言っているのと同じということである。

悪口を言い続ければどうなるか?結果、自分に対して、悪口を言い続けているのと同じことになるのだ。親に辛辣な言葉ばかりをかけられて育った子供は、自己肯定感が低くなってしまうように、自分に悪口ばかりを言い続けると、自分の自己肯定感はかなり低くなってしまう。

自己肯定感が低ければ、自分に自信が持てない。そうなると、他者に対して妬み、僻みが出てくる。そしてまた悪口を言ってしまうという負のサイクルが出来上がる。

一度きりの人生、どうせなら良いものにしたい。それならば、どんなことがあっても他責思考にならず、悪口を言わず、ポジティブなことを思いながら生きていきたいものである。

先に述べた脳は主語を判断できないということは、良い方にも応用できる。

他人の成功を喜ぶ。他者に感謝する。これを徹底的にやればいいのだ。

あの人は素晴らしい🟰私は素晴らしい

あの人がいてくれてよかった。ありがたいな🟰私がいてよかった。ありがたい。

こんな風に、他人に感謝をしていけば、イコール自分に対しても感謝することになる。こんな優しいポジティブな言葉を自分にかけ続ければどうなるか。自己肯定感爆上がりだし、他人に対しても、もっと優しくなれる。小さなことに感謝できるから、多くの良い発見もあるだろうし、生きていることが楽しい。

その結果、もっと感謝したくなり、良いサイクルが生まれる。

鏡の法則という本が結構前に流行ったが、おそらくこの考えに通じているんだと思う。

他責や悪口にエネルギーを一切使わず、感謝や賞賛にエネルギーを使う。他人に対して優しくあれば、他人も優しくしてくれ、そして応援してくれる。そして、他者に感謝や賞賛を送る時、それは自分自身に対しても感謝や賞賛を送ることになるから、エネルギーを自分自身に補充することにも繋がる。つまりは他者➕自分自身でエネルギーをダブルで受け取ることができる。

他責や悪口では、エネルギーが消費されるばかりなのに対して、感謝や賞賛を外の世界に送れば、エネルギーを2重で受け取れ、そしてエネルギーが減ることがない。むしろ増えていく。

それなら、自分のためにも圧倒的に、感謝や賞賛を外の世界に送った方が得なのだ。

これからの人生、感謝や賞賛に溢れたものに自分自身の手でしていこう。

自分が与えれば、与えるほど、世界はそれ以上のものをあなたに与えてくれる。