思考は常に頭の中を乗っ取ろうとしている。常に頭の中で言葉を発していて、ネガティブな気持ちにしてくる。なので、思考が湧き上がってきたとしても、その思考を掴まえないことが大切になる。

掴まえてしまうと、その思考に囚われてしまい、思考の言いなりになってしまう。思考の言いなりになると、今を感じることができずに、全ては思考の中の声に右往左往させられることになる。人生の素晴らしさを感じることができず、充実感も得られずに生きていくことになる。要は、思考とは本当の自分を閉じ込めておくための檻なのだ。

思考に囚われている限り、その檻を強固にするだけで、檻をぶち破って出ることはできない。檻の中にいては、今に在ることは到底できない。

それでは、思考の檻を出た世界はどんなものなのか?

その思考の檻を出た世界、つまり思考に囚われなくなった世界こそ、いわゆる悟りの世界なんだと思う。

常に今に在り、今を感じることができる世界。本当の自分を生きることができる世界。

ニューアースを読んで、エゴや思考について学ぶことはできた。そして、思考に気づくという対処法も学ぶことができた。

実生活に生かそうとしたが、思考やエゴはなかなか手強く、まだまだ思考に囚われる日が続いている。

エゴや思考はあの手この手で僕の頭の中を罪悪感、不安で埋め尽くそうとしてくる。僕自身、まだまだ弱く、そんな思考の罠にかかってしまい、その思考の声を捕まえて、捉えられてしまうことが多々ある。

不思議だが、思考に囚われてしまうと、体調が悪くなり、必ずと言って良いほど、風邪を引く。おそらくこれは、体の反応を通して、本当の自分がその生き方は違うよとメッセージを送っているのかもしれない。

思考に気づき、思考を自ら捕まえず、放っておくと、ふと、悟りってこういう感覚なのかな?と感じる時がある。

本当にホッとするし、何をするでもないが、幸福感がじわーっと広がる感覚がある。とはいえ、自分自身もそんな経験をしたのは、本当に数秒だけで、また思考やエゴが騒ぎ出し、また捕まえ、自らを苦しめてしまった。

思考に気づき、その思考を掴まえないこと。これが当面の自分の課題だ。これができるようになった時、またさらに本当の自分に近づくのではないかと思う。

ここまで、思考やエゴに囚われないことこそが正義のように書いてきた。しかし、思考やエゴは悪なのか?

要は使い方だと僕は思う。思考やエゴは何も自分を苦しめたいから、こんなネガティブな思考をしているわけではない。自分を少しでも、危険な環境から遠ざけたい、つまり、自分を守りたいからこんなネガティブな思考をしているのだ。

自分を守るために、一生懸命に、周りの危険を察知し、予想し、危険を知らせようとしてくる。なんだか、少し、エゴや思考が愛おしくなってくる。

エゴや思考は自分が頼りたいと思った時だけ、解放してやれば良いと思う。ここはエゴや思考を思い切り使う時だなと思う時は、解放してやって色々なことを考え、対策を練る。例えば仕事などだ。プロジェクトについて考えるときは、思考に頼った方が良い。色々なリスクなどを考えて行動できるから。

思考を使う時が終わったら、ここで思考を収めようと切り替える。そして、今にある生き方をしていけば良い。普段は今に在る生活をし、必要な時だけ、思い切り思考に頼る。そんな生き方がベストだなと僕は思う。