人生において苦しみが生まれるのは、頭の中で常に話かけてくるエゴに反応するから。自分の場合、エゴが幼い頃から強く、ことあるごとにエゴが頭の中で暴走するような状態だった。
「あの人に迷惑をかけて嫌われたんじゃない?」「神社でそんなふうにお願いするとバチが当たるよ」
他人への心配、神様への恐怖、食べたりして生き物から命を奪う行為への罪悪感など、何かとエゴが私にささやきかけてきて、要らぬ感情を持たされまくっていた。
その結果、何をしても楽しくないような日々が続いた。そりゃそうだと思う。楽しいことをやっていても、常にエゴが自分に対してネガティブな言葉を吐きかけてくる。そして頭の中を乗っ取り、今の楽しみを奪っていく。
この頭の中の声は完全に自分自身だと思っていたし、なんなら、自分の本音だと思い、むしろ大切にしなければならないと思っていた。
ニューアースに出会って、エゴについて学び、この頭の中のネガティブな声はエゴで、このエゴこそが、不幸の原因なんだと理解することができた。
理解することはできたものの、なかなか実践するとなると難しい。なぜなら、これまで数十年間頭の中を支配してきた怪物だからだ。
エゴをなんとかしたい。なんとかしなければと思っていたけど、エゴに負けてしまう日々が続いた。
ニューアースを読んだけれど、一向に今までのエゴに苦しめられてきた人生と変わらない苦しい日々が続いた。だが、最近になってふと思った。
「僕には覚悟が足りない」と。
エゴへの対処法はニューアースで習った。エゴに気づく。ただそれだけ。エゴと決別して、新しい人生を歩みたいなら、ただそのエゴに気づく、これだけを実践し続ければよい。
ただ、実践し続けれよいのだ。自分の場合、理屈はわかっていても、今までのエゴに囚われる習慣を変えることができていなかった。ことあるごとにエゴに反応して、心配や罪悪感を感じ、ネガティブな感情になっていた。
つまりは、今までの生活と同じようにエゴと同一化していた。そのライフスタイルが変わっていなかった。
そんな状態で、エゴと決別できるはずがないのだ。なんせ、ニューアースを読んで知識だけをつけただけだから。実践をしないと変わるわけがないのだ。
実践をするとなると、それなりの覚悟が必要となる。今までエゴに振り回されてきて、エゴと同一化するのが、自分の習慣となっているからである。
エゴと同一化しなければ、感覚的に気持ちの悪いような感じになる。そんな中でも、エゴに気づくという実践をやり続ける、どんな苦しい状況でもとにかくやり続けるという鋼の意志が必要なのだ。
エゴに気づき、目の前のことに意識を集中させる。この実践を繰り返すうちに、だんだんとエゴに振り回されなくなってきたように感じる。結果、日々穏やかに暮らすことができるようになってきている。
いつもなら、罪悪感や不安が出てくるようなことでも、エゴが出てきたなと気づき、離れることができるようになってきた。
改めて、覚悟を持って、この実践をしようと思い、取り組み始めたのはここ数日のことだ。なので、まだまだエゴが襲いかかってくる瞬間はあるし、囚われそうになる瞬間もある。
だが、そんな時でも、覚悟を持ってやっているんだと自負があるので、今のところ負けずに継続することができている。
この生き方、ライフスタイルが自分の普通の生き方になった時、また新たな自分に出会えるんだと思う。