世の中のイメージでは、諦めることは悪いことだと思われがちだ。例えば有名なスラムダンクの中でも、諦めたら試合終了ですよ。というセリフもあるように、どちらかと言えば、ネガティブなイメージを持たれている。だが、自分らしく生きていく上で、諦めるということはかなり重要になる。

人生こうなったら良いのに……

あの時こうしていれば、俺の今の人生は変わっていた……

誰しもこんなふうに思う瞬間はある。それは主に自分に起こってほしくないことが起きた時、つまりネガティブなことが起きた時に思い浮かぶ。

人生で起こる出来事なんて、自分ではどうすることもできないことが大半だ。ネガティブなことが起きないように、全てを避けて生きることなんて絶対に不可能である。

運命という言葉があるように、物事は自分だけではなく、自分以外の何千、何万の要因が絡み合って発生している。

例えば、離婚することで考える。離婚はネガティブな出来事だと判断する人が大半だと思う。一見自分の行動で、どうにかできたかもしれないと思うかもしれない。あの時もっと妻に感謝を伝えていれば良かった。もっと自分が育児に参加していれば良かった。もっと料理を自分が作っていれば良かった。などなど後悔をするかもしれない。

だが、実際は、これらのいわゆる「良い夫」がとるような行動をしても、夫婦関係が改善したかどうかはわからないのだ。

もしかすると、妻は先ほどあげた行動以外のところに不満を感じていたのかもしれない。結婚した時点で、もうこの人とは相性が合わないと思い、離婚を決意していたのかもしれない。妻の両親から、夫とは将来的に別れた方が良いとアドバイスをもらって、洗脳を受けていたのかもしれない。結婚もたまたまその時に、この人こそ運命の人だと錯覚してしまい、家庭に入った瞬間に幻滅したのかもしれない。

妻が何を考えていたのかは、知ることは不可能だし、自分の行動で少しは夫婦関係は改善したかもしれないが、起こった出来事である離婚を回避することができたかというのは、誰もわからない。

ここで、よくあるのが、結果への執着をしてしまうことだ。あれだけ俺はやってやったのに、なぜ妻は頑張ってくれないのか。なぜ俺はこんなに頑張ったのに離婚なのか。どうしてくれるんだ。離婚なんてしたくない。

こんなふうに、離婚を回避するという結果に執着してしまう。そうなると、現実では、離婚というネガティブな結果が発生し、それはどうしようもないことなのに、自分は離婚をしたくない、やり直したいという現実とは真逆のことを求める。結果、執着が発生し、こんな状態じゃダメだ!となり、現状への否定が始まる。

もう、そうなると、人生なんて苦しみでしかなくなってしまう。なぜなら、どうしようもない物事に対して、どうにかしようとずっとあがくことになるからだ。例えて言うなら、鏡に写った自分の容姿を変えようとするようなものである。

ここで大切なのが、諦めることだ。タイトルにもあるように、諦めることは執着からの解放を意味する。これはどうしようもないこと。起こる運命だったと受け入れて、自分にできることをただやる。そして結果に期待しない。

離婚を回避するために、先ほどの妻に感謝を伝える。育児に参加する。料理を作るという行動を起こすこと自体は素晴らしいことだし、これで実際に離婚を回避することができるかもしれない。なので、行動を起こすこと自体はやったほうが良いし、何も問題はない。問題は、結果に執着することだ。やれることはすべてやって、その上で結果は期待しない。諦めて、放っておく。このスタンスが非常に重要になる。

やれることはやった。あとは天に任せて、楽しいことをしよう。楽しいことを考えよう。この考え方で良い。

そうすることで、自分がどうこうできる範囲以外のことは考えなくなる。心配、不安、執着から解放されて、波動は軽くなる。

より軽やかに人生を生きていくことができるようになる。