「別に仕事に、プライベートに色々やることはあるんだけど、なんとなく充実感がない」

「楽しいことをやっているんだけど、心配事にとらわれることが多く、楽しめない」

こんな人はいないだろうか?

自分自身もまさにこれで、長いこと悩まされてきた。

僕がこんな”心ここにあらず”の悪循環になったのは、大学を卒業してから就職した会社で、営業マンをやっていたことが原因だと思う。

営業マンをやっていると、一人ずつ、社用の携帯が支給される。その社用の携帯に、取引先から電話がかかってくる。僕が所属していた会社は、日用品をメインで扱っていた。そのため、スーパーが取引先だったのだ。

スーパーは1年365日休みなく稼働している。そのため、取引先の会社も1年365日、取引先であるスーパーとやりとりしないといけない。

お盆、正月関係なく、スーパーの担当者からはひっきりなしに電話がかかってくる。もちろん友達や彼女と過ごしている時間も、電話がかかってくるので、社用の携帯電話は手放せない。

かかってくる電話の内容は、商品の発注から、クレームまであり、「チラシに載せた商品がこない」などのゾッとするものもあった。

どんな時も、携帯に電話は来ていないかな?あの時の発注は大丈夫かな?と考えるようになり、心ここにあらずの悪循環ができてしまった。

転職し、仕事を変えてからは、そのようなバンバン電話がかかってくるようなライフスタイルでは無くなった。それでも、”心ここにあらず”の状態は習慣として残ってしまった。

旅行に行ったり、友達と楽しいことをしていても、常に頭の中は心配事でいっぱい。「あれは大丈夫かな?」「明日の仕事行くの嫌だな」などなど、ネガティブなことばかりを考えてしまっていた。

本来最高に楽しくなるはずの想い出も、心配ばかりで、想い出そのものができないというような状態が続いた。

何をしても楽しくなく、人生がなんとなく進み、このまま終わりを迎えるんだろうなという絶望感さえあった。

そんな時、ふとニューアースという本に出会い、自分の”心ここにあらず”の状態を改善するための糸口を見つけた。それは、生活すべてに意識を込めることだった。

生活すべてに意識を込めるとはどういうことなのか。例えば、洗濯物を畳むとき。一折り、一折り、心をこめて集中してやる。他のことを考えない。手を洗う時も、水の感触、手を動かす動作全てに意識を込め、考えながらやることをしない。こういうことである。

おそらくほとんどの人は、音楽を聴いたり、YOUTUBEでためになる動画を聴きながら家事をしていると思う。僕自身も、何か時間がもったいないような気がして、そのように〜ながらの状態でやっていた。

〜ながらの状態は、まさに心ここにあらずの状態なのだ。この〜ながらをやっている限り、心ここにあらずの悪循環からは解放されない。解決策は、先ほどのすべての動作に意識を込めることだ。

このすべての行動に意識を込めることは、ほとんど瞑想と同じである。瞑想は、座って、ひたすらにマントラを唱えるか、呼吸や体の感覚に集中することだ。何か考え事が浮かんできた時は、また、呼吸などに意識を集中し直す。これを繰り返す。

動作に意識を込め、何か考え事が浮かんだら、また動作に意識を集中する。この生活全てに意識を込めることと、瞑想は、やっていることは違うが、根本の目的は同じなのではないだろうか。

私自身、この生活に意識を込めることを実践し出してから、大きく人生が変わった。まず、充実感が、以前に比べてかなり増した。やっていることに集中できるので、楽しい時間が、さらに濃い時間となった。

まだまだ、心ここにあらずの状態になることはある。だけれども、明らかに以前の自分とは、異なる自分になりつつある。

生活しながら、瞑想する。これからも続けていく。