「悪口はダメ」

「人には親切にしなければならない」

「常に感謝の気持ちを持って」

などなど、僕たちは知らないうちに、このような思想に洗脳されてきた。そのせいで返って、人生生きづらくなっている人がかなり多いんじゃないかと思う。

かくいう僕自身も、幼い頃からこのようないわゆる”良い人”になりましょうという教育を受けてきた。その結果、30歳あたりになるくらいまで、かなり生きづらい人生を送ってきた。では、なぜ清く正しく、良い人になろうとすることで人生が苦しくなるのか、ここで考えていこうと思う。

まず、前提に、上で挙げたような悪口を言ってはダメなどの考えがあると、悪口を言ってしまった瞬間に自分責めが始まる。「本人がいないところでコソコソと言って、卑怯だ」「悪口を言ってしまったし、きっとこれから僕自身にも悪いことが起こるに違いない」「悪口を言うなんて最低なやつだ」などなど。

悪口だけなら、まだ自分責めは少ないかもしれない。だが、感謝の気持ちを持つ、親切にしなければならないなど、しなければならないことが多ければ多いほど、できなかった時に、自分を常に責めることになる。

そりゃこの魑魅魍魎の人間世界、綺麗なことだけで生きられるほど甘くはない。そして、陰陽が混ざり合って成り立っている世界だからこそ、良い生き方といういわゆる”陽”の生き方ばかりをすることは不可能だ。

そう、世の中の仕組み的に清く正しく生きることなんてできっこないのに、それをしようとしているのだ。例えるなら、雲を掴むようなものだ。

自分は清く正しく生きたい、でも、できない。そうなると、永遠の自分責めのループに入ってしまう。世の中の仕組み的に清く正しく生きることなんてできないので、文字通り永遠である。せっかく授かった命、一生自分を責めて終わるなんて馬鹿馬鹿しすぎる。

ではなぜ、清く正しく生きようとすることを強要されているのか?それは、おそらく操作する側が管理しやすいからだと僕は推測する。反抗せず、仲良く、組織のために生きるように仕向けることができれば、操る方の人間は管理がしやすい。だからこそ、こんな矛盾した清く正しくという生き方をさせようとしてくるのではないだろうか。

これをしなければバチが当たりますよ。良い人生を送れませんよ。と罪悪感を僕らはあえて持たされている。そうすることで、一人一人が自由に生きることを制限しようとしている。こんな押し付けられたような生き方を僕はしたくはない。

そもそも、感謝をしよう、親切にしようなどの行為は、自然に湧き出るものである。無理やり、能動的にやるものではない。嘘の感謝や嘘の親切を繰り返しても、相手にはきっと伝わるし、自分にも良いことはない。だったら、自然に感謝や親切心が湧き出るまで、徹底的に自分の気持ちに寄り添うことが大切だと僕は思う。

まずは自分の感情(黒いものも、良いものも含めて)全てを受け入れる。そして徹底的にその感情を感じ、味わう。その上で、自分はどうしたいのか、そしてどう思いたいのかを問う。別に悪い感情が起きても自分を否定しない。いいんだよと徹底的に自分を認めてやる。まずはそこから始めるのが僕は良いと思う。

人生が生きづらい、もう嫌だ、人生をどうにかしたいと思う人ほど、まずは、徹底的に自分に寄り添って欲しいと思う。