「クソな上司と一緒に働くことになってしまった」
「たまたま入った会社がかなりブラックだった」
「親ガチャに失敗した」
生きていれば、どうしようもなくヒドイ状況にぶち当たることがある。そんな時に、この状況をなんとかしたいと思う。一刻も早くこの状況から逃れたい、もっと自分にとって居心地の良い環境にいきたいと。
クソな上司に怒られないように、必死に勉強したり。ブラック企業を脱出するために、転職活動をしたり。親から離れるために、遠方の大学を選んだり。
それらの行動そのものは、素晴らしいことだし、結果、自分を成長させることにつながることもある。苦しい中頑張って努力し、見事に道を切り開き、状況を改善することもある。
ただ、頑張っても頑張っても、状況が改善しないことは残念ながらある。この世の中、頑張りが全て報われるわけではないので、それは仕方のないことだ。
どうにもならない状況で、自力でどうにかしたいから、必死に自分に鞭を打って行動する。それはある種、”執着”につながる。自分の境遇が改善された状態に執着する。境遇を改善するために行動し、改善できなければ、フラストレーションがたまる。「何で結果が出ないんだ」「何で俺ばっかりこんなキツいことをしなきゃならないんだ」と。
どうにかしたい。どうにもならない。そんな状況なら、諦めて、潔く状況を受け入れるべきだと僕は思う。クソな上司で例えると、クソな上司に当たったことは仕方ない。それは受け入れよう。こんな状況でも、楽しめること、自分にとってプラスになることだけにフォーカスしよう。と考える。
そうすることで、”どうにかしたい問題に執着した状況”から、自分のなりたい姿、自分の理想の姿に自然とフォーカスが移る。行動の基準が、「今の状況をどうにかしたい」というものから、「理想の自分になるためにはどうするか」「日々、楽しく仕事をするにはどうするか」に変化する。
問題から、理想へと見方を変えただけであるが、理想の方にフォーカスした方が、ポジティブになれる。この理想にフォーカスすることを続けた結果、時間が経った時に自然とつらい境遇が変わっていたり、つらいと思っていた境遇が楽しくなったりと変化することは結構ある。
おそらく、キツい境遇でも耐えられる人はこの考え方がしっかりとできている。側から見たら、壮絶な下積み時代を送り、やっとのことで成功を掴んだ人は、「あの頃は、貧乏だし、色々と辛い境遇だったけど、全然しんどくなかった、むしろ楽しかった。」と大体の人は語っている。
それはきっと自分の理想の方にフォーカスが向いているからだと思う。
つらい時は、楽しいこと、理想の自分を思い描くこと。これを日々の生活で実践してほしい。