HSPで不安症の僕にとって、楽に生きることはかなり難しかった。
何か、悪いことがあると、これって僕のせいなのかな?僕の何がいけないのだろう?
あの時あの選択をした方が良かった。
と自責することが多々あり、苦しい日々を送っていた。
そんな中で仏教に出会い、こんな考え方もあるのか!と衝撃を受けた。
その仏教の考え方、生き方を人生に取り入れることで、かなり生きやすくなった感がある。
気にする性格の人、不安症の人、HSPの人など、この世の中が生きづらいと感じている人に参考にしてほしい。

ズバリ、僕が仏教から学んだことを一言で言うと、
「人生で起こる出来事はあらかじめ全て決まっている」
ということだ。

これはどういうことなのか?
普段から僕たちは膨大な数の考え事をしている。
「あれ食べたいな」「あの人にあの要件を伝えないといけないな」
などなど、プライベートから仕事に関することまであらゆることを考えている。

しかし、これらの考えは、本当にあなた自身が考えたものなのだろうか?
実は、これらの考えは、あなたが考えようとして、考えているのではなく、勝手に頭の中に浮かんでくるものなのだ。

「絶対そんなことはない、私自身で考えていることであって、勝手に浮かんでくるものではない」
と思うかもしれない。そんな人は、目を瞑って、何も考えないようにして、10分座ってみてほしい。自分が考えようとしなくても、過去の後悔や未来にやらなければならないことなど、ありとあらゆる考えが勝手に浮かんでくるのが実感できるはずだ。

これが思考が勝手に浮かんでくるということである。
つまり、自分が何かを考えようとしているのではなく、人との出会い、身の回りの環境など、自分が影響を受けたものによって自分というものは形作られているということになる。
要するに、縁によって自分たちは生かされているということになる。

なので、人生において、自分にできることは一切なく、ただ、縁によって生かされているということになる。

「縁によって生かされていて、なおかつ、人生があらかじめ全て決まっているなら、何も努力することなくね?」
と勘違いしてしまう人も出てくるかもしれない。

そうではなくて、起こることは全て決まっているからこそ、全ての物事に対して、受け入れ、丁寧に向き合って行かなければならないということだ。

大抵の悩みや不安は現状の否定から始まる。
あの上司がいなくなったら、最高なのに。
あの時あの選択をしていれば、俺はこんなことにはならなかった。
もっと勉強していれば、エリートになれたのに。
などなど。

仏教の考え方から言えば、こんなことで悩むなんて、無意味でしかない。
なぜならば、あらかじめ、縁によって出来事は決まっているから。
悩もうが、不安になろうが決して関係はないのだ。

ネガティブであろうがポジティブであろうが、全ての出来事は起こるべくして起こるので、受け入れて、向き合っていくしかない。

だから、悩みや不安、罪悪感は無意味であるということになる。
これは裏を返せば、超絶ポジティブな考え方になれるということだ。
なぜならば、自分の身に起こるポジティブ、ネガティブ全ての出来事に振り回されることがなくなることを意味するから。

では、物事に丁寧に向き合うってどうすることなんだろう?と思う人もいると思う。

僕が考える答えは、全ての出来事において、湧いてくる感情を感じきり、動作に意識を込めること。だと思う。

例えば、床に物を落として、傷をつけてしまったとする。そんな時大抵の人は自分を責める。
なんでこんなことをしたのか。
もっと丁寧に運べば良かった。
などなど。

ここでやらなければならないことは、感情を感じきること。ここで言うなら、床を傷つけてしまって悲しい。という感情を全力で感じきる。そして、感じきったあとは、もうその悲しい感情に囚われることなく、普通に生活していくといった感じだ。

そして、普段の生活では、頭の中の考え事ではなく、洗濯物を畳む動作、歩く動作、全ての生活の動作に意識を込める
そうすることで、不要な悩みや自責にとらわれることなく、目の前の物事に対して全力で向き合っていくことができる。

そうして、全ての瞬間を大切に生きていくことが、大切なんだと僕はこの仏教の教えを通して学んだことだ。

僕自身この考え方を取り入れることで、だいぶ生きやすくなり、ポジティブになることができた。

日々、生きづらいと感じている人たちはぜひ取り入れてみてほしい。