SNSの登場で、「暇になること」がなくなった。
電車に乗れば、みんなが携帯電話の画面と睨めっこをし、旅行先の絶景スポットでも、みんな携帯電話を片手に写真を撮り、インスタグラムなどに投稿するのに必死だ。
携帯電話とインターネット回線さえあれば、どこにいても暇を持て余すことなく過ごすことができ、より人生を楽しめるようになったように感じる。
携帯電話をなくしたり、インターネット回線が繋がらないような場所の場合、SNSを開きたくて仕方がなくなる。もうこれは中毒と言ってもいいと思う。
暇を持て余すことがなくなった一方、僕たちは、画面や頭の中の物事に思考を奪われてしまい、今の人生というよりも、頭の中や、画面の中の”仮想現実”の世界に閉じ込められてしまっている。
携帯の画面を見ることは、文字通り、携帯の中のことに思考を奪われてしまう。今、起こっていることではなく、携帯の中の情報に全ての意識を奪われている状態である。
SNSの開発者は、人の注目を集めるために、アイコンをカラフルにしたり、通知の機能を持たせたりと様々な工夫をしている。
その結果、見事に現代人は、「注目」をSNSに奪われてしまい、今の自分の人生よりも、携帯の中の情報に意識を奪われてしまっている。
SNSだけでなく、過去の後悔や、未来の心配のことばかり考えている人も、やっていることは同じである。今の自分が生きている現実を生きるのではなく、過去や未来の頭の中の物事ばかりを考え、今を生きていない。
常に今ではなく、そのほかの、実態を持たない何かに意識を奪われ、生活をしているのだ。これは、VRのゴーグルをつけて、頭の中だけの仮想現実を生きていることと何ら変わりはないのではないだろうか。
過去の自分もそうだった。HSP気質で、他人の言動や、過去の後悔のことばかりを考え、今の自分の人生を生きていなかった。他人の言動なんて、超能力がない限り、当人にしかわからないことである。それにも関わらず、「きっとあの人はこう思っているはずだ」「迷惑をかけてしまった」などと、考えてしまい、勝手に悩んでいた。
勝手に脳内で悩みを作り出し、それについて悩む。これは先ほどの仮想現実を例にすれば、仮想現実のゲーム内での出来事に対して、本気で悩み、苦しんでいるようなものである。馬鹿馬鹿しいほどこの上ない。
もっと今に在って欲しいと思う。もっと自分の人生を生きよう。人生は一度きりしかない。あなたの人生で起こる全ての物事がかけがえのないものであり、大切な経験である。ポジティブでも、ネガティブでも、全ての経験を受け入れ、味わってほしい。
これはだめ、あれは良いと判断することなく、全てを受け入れる姿勢を持つことで、どんな経験も楽しむことができるようになる。
歩くこと、書くこと、食べること、などの日常の全ての動作に対して100%の意識を込めて生活をしてほしいと思う。他のことを考えずに、文字通り100%の意識を込める。
それを習慣づけることで、確実に人生は変わる。無駄に思えていた動作にも楽しみを見出せるようになる。人生の全てが愛おしいものに変わっていく。
仮想現実ではなく、今を生きよう。