人に与えることは大切だとよく言われる。物もそうだし、それ以外にも、感謝の言葉や、優しい言葉をかけることも与えることに含まれる。

何かがほしい場合は、まず自分がほしいと思うものを与えよ。という格言もある。

自分がほしいものをあえて与えることで、それが自分に与えられますよということだ。

なぜ、自分がほしいのにあえて他人に与えることで、今度は自分が与えられる立場になれるのか?

ずっと自分の中で疑問だった。最近になって腑に落ちたので、共有させてほしい。

与えることで、逆に与えられるようになる。その答えは、「執着」にあるんだと思う。

例えば賞賛で考えてみる。人は誰しも承認欲求があるので、人から認められたい、人に賞賛してほしいと思っている。人に賞賛してほしいと思っているということは、現在、賞賛が得られていない状況だ。

なぜなら、賞賛を得て、満足していれば、何が何でも賞賛を得たい、賞賛がほしいと思ったりはしないからだ。

要は、賞賛されることに執着をしている状態になっている。

賞賛を得たいのに、得られていない。この状況に対して、エゴは不足を煽る。お前は〜だから賞賛を得られない。もっと〜をすれば賞賛を得られるよ。もっと頑張れよ。もっと努力しろよ。お前のここが悪いんだよ。と色々なネガティブな言葉を浴びせかけてくる。

その結果、もっと賞賛に執着するようになる。もっと、欲しい、欲しいと思うようになる。すると、現実に満足することができず、さらに不足が実現してしまう。なぜなら、常にこのままの状態ではダメだと自己否定しているから。

そんな感じで、執着は自己否定しか生まず、生きてて苦しくなるばかりとなる。

ここで与えるである。与えるとはどういうことだろうか。賞賛で例えるなら、相手に対して賞賛するということ。つまり、自分がほしい対象である賞賛を相手に対して分け与えることである。

お金で考えればわかる。本来は、多くのお金を持ち、満足した状態でないと他人に分け与えることはできない。つまり、自分が満足した状態でないと分け与えることなんてできないのだ。

与えることによって、自分は満足している。賞賛は自分の中に満足するほどにある。と潜在意識に刻むことができる。執着によって繋がっている賞賛がほしい自分と、ただのあるがままの自分を切り離すことができる。

ただのあるがままの自分、何も求めない満足した自分になることができれば、その通り満足する人生になる。引き寄せの法則で常々言われているように、人は感じている物事を引き寄せるからだ。満足して、平和や幸福を常に感じながら生きることができれば、現実もその通りになる。

人生生きづらい、苦しいと思う人は、おそらく執着するものが多いのかもしれない。その結果、エゴと自分を同一化し、より苦しい人生を生きている。

そんな人は、まずは自分がほしいと思っているもの、言葉を与えることから始めたら良いと思う。そうすれば、執着をなくすことで、あるがままの人生を生きることができるようになり、人生も好転していく。